昭和40年09月13日 13日会



 今朝方私こんな御夢をいただいておって、私と父と階段からこう階段です。(テープが飛んでいます)
 もう親に対する思い子に対する思い。こんなに違うもんだとこう思うですねえ。もうほんとに親が大事、もう本当に私の一番大事なものといやあ、親と言うておる私がです。親の場合は、もう私の前じゃけん仕方のなかと、言った様な事があるのかも知れませんですねえ。これは可愛い子供じゃなくて、親と家内と言う様な場合でもですね、白真剣真実の底を割ってみると、家内の方が大事と言った様なものがあるです。
 これは私北京時代に、あのうなんでしたかね、兵隊に参ります前に、まっなんか演習の様な事に引っ張りだされた事がある。一週間ぐらいそれでまあ教育を受けた訳なんですけれども、もうあの炎天に不動の姿勢を取らせられてですね、もう炎天にいつまでも直立不動をやらされている訳なんです。そしてもうほんとに目の前が黒うろなって、分らんごつなった時に私の頭ん中をかすめたのは、
  (※テープが飛んでいます)
 次には家内の事でしたですねえ。親の事じゃなかったです。もう自分が難しかごたる時にはお母さんとか、お父さんとかとこう言うけれど、ひょっとするとお互い愈々ん時には、もう子供の名前どん呼ぶのかも知れんと、思いますですね。親に対する思い子供に対する思いというものは。今朝方の私の御夢の中にも感じたような、親がもう「あらしまえたじゃろうか」と思うておった。
 あらと思うただけで、それだけの時にはそれが子供になっておった。そしたら可哀想にと思い忠臣蔵のお母さんじゃないですけれども、ね、父親が亡くなったと言う事と主人の勘平が亡くなったと言う事を聞く時にです。もうお父さんは年の前だから仕方がないというでしょう。ね。勘平さんはまだ三十になるかならずでと言うてからその、もう気絶してしまう様に、びっくりするんですねえ。
 私達がここん所を本当にこのそこの所の、そう言う事であってはならんのだけれども、そうなのだからその欠けておる所をです、何とかこうカバーしていかなければいけないと思うのですね。その辺がですねえと申しましょうか、この先ほどもでした。善導寺の二番目の紀夫先生ですたい。今あのう御商売を始めておられる。もう室内装飾のなんかそういう所のまあ外交かなんかをなさってるらしいです。
 そしてここのご建築が、まっこうして段取りしよるもんですから、そのくりへ注文取りに見えたらしいんです。所が久富先生が会っておられる。で今日はあのう委員長も見えますから話ときましょうち。と言うてから門前払いを。またそれを聞いてからもう「あんたばっかりはどうしたこつばするね」ち。私が例え「まあだうち当たりは装飾の事段じゃないよ」と。「ないけれども、親教会の息子さんが来てあるとよ」と、私が申しました。そらもう「人情はそんなもんじゃなか」ち。
 例えばほんならこういう善導寺からの関係の、難しい中にです。もう例えばあちらの息子さんがここに見えても、玄関まで入ってきなさるだけでん、そらほんとに「来にくいところだけれども、来ちゃるとよ」と、私が申しました。そればあんた、「今日は委員長の見えるけん相談しときまっしょ」の何のち言うてなぜ上げじゃったか。なぜ私に取次がじゃったかち。ね。
 そうすりゃ私がお茶なっとん上げてからですたい。「まだそげなじゃなかばってん。愈々ん時は、又御願いする」とか何とか私が言うとじゃったのに。そげな事してからと言うてから申しました様な事で御座いますけれども、まこれは紀夫さんじゃないこれは親に対する思いなんです。ねもう実にこの辺はデリケートです不思議な事ですね。親のことを私が悪う言いよっても人に言われたら腹ん立つです。ね。
 この頃からもう例えばこの、御造営のことについてでもです。例えばその御造営の事についてまあ親がまあ年寄りがです。まあ出しゃばる様な事がありますよ。ね、そしてその御造営の事がスムースさを欠く様な事がある時には、それを隠しても良かろが、だまくらかしてもかんまんて。まあ「あんた年寄りは引っこどかんの」と言うても良いて。ね。そういう意味のお知らせを頂いて御座いましたですね。
 私と勇さんですかがあのう自動車に乗ってどこにか行っておる。そして私が運転しきると言う事は、親先生には言いなさんなと。ね。親先生に言うとしょっちゅう「あそこへ連れてけ、ここへ連れてけといいなさると、困るから言いなさんな」と言うてその言いよったというのはね、例えばね事神様の願いと言う様な、その御造営なら御造営の事に、それが親が色々言う事がです。障害になる様な事であるならばです。
 それはいわゆる義理人情を捨ててから、そう言う様な生き方にあってもよろしいのだけれども、ね。私の妹が両親に子供達がろくそうな事を言いよるから、妹が非常に腹かくです。そして自分の親にろくそうに言いよらんかというと言いよるです。あんなもんです。自分の親というものは、自分は大事にはしきらんけれども、ひとが大事にせんにゃ腹ん立つぐらいにゃあるのが親です。
 そして例えば私が善導寺の場合でもそうです。ね。どんなに考えてみてもです。やっぱり、善導寺あっての椛目であり、親先生のおかげで13日会が生まれたのである。親先生のおかげで、例えばこの様な御造営が、合楽にああしたおかげになって来たのであり、ねこの辺の皆さんとしてもですね。ほんとにデリケートなものですから、本当に心していただかにゃ出来んと思うですね。
 その事が私はまた例えば、またこれは私が本当の意味で助かり、私が椛目がいわば繁盛のおかげを頂く事はです。善導寺の繁盛に繋がっておらなければならない。但し椛目の繁盛に善導寺が邪魔になる様な事はあるまいけれども、その様な場合には、私義理人情を捨ててから、それは一時ばっかりいわば、嘘でも良いからその言うなと。というのであってですね。
 私の繁盛はそのまま、善導寺の繁盛に繋がらなければならないのです。ね。それをいかにも善導寺はほんなら、ここの何か邪魔のものというか、かたき役の様な見方がもしあるとするなら是は大変な事。私はここからちらっと聞いたんですけど、昨日総代さんの高芝さんが何か言いよんなさるとを、ちらっと耳に挟んだんですよ。今まで例えば善導寺のために、どのくらいその押さえられて来たか。
 いんぎん自重してきたか。その事を忘れたかと言った様な意味。もうそれはねそういうようなものでは決してないです。のおかげでですこれはもう純信心で頂かんにしてもそうです。ですからこの辺の所はもう、言葉で私はどの様に表現して良いのだか分らんのですけれども、もう先生ああたでも善導寺のことは悪う言いよんなさっじゃんね。成程悪う言いよる。悪ういう時にはほんにうちの親父は分らんきんち。
 ほんなごつ言いよるけれども。ほんなら皆さんが悪う言いなさるなら、私が良か気持ちはせん。と言う様にデリケートなものなのです。善導寺と椛目というものは。ね。まこの辺の所はです。上野さんはいわゆる言外の言です。私がそのうまあ結局まあギリギリの所です。この親あってこう言う事であったという、こんなにおかげ頂いていきよると言う事だけは、私は心の底にしっかりと頂いていかなければならないと。ね、
 例えばほんなら樺目が立派にこれは、よその教会とならいざ知らずですけれども、椛目がどんなにおかげを頂いたと言う事は、善導寺のおかげを頂かれたと言う事に、繋がっておらなければならない。又よその先生方からでもです、まあ私が良い子になればです、ほんに荒巻さんよか子ば持って貴方も幸せですねて。よそからでも祝福を親が受けて下さるくらいな、事になってこなければいけないと思うのです。椛目の事を褒めたら、荒巻先生は機嫌が悪かと言った様な事ではつまらん。
 椛目がおかげを頂くと言う事は、荒巻先生自身も喜んで頂ける様なものに、なっていかなければならないと。親がこりゃいわば梯子からおててから、こりゃもう息の切れ取るときに私が、ああ可哀想な事してしもうておる。ね。それが子供にかわっとったら、ああ可哀想な事をしてとこう思いよる。それほどに例えば子供に対する思い、親に対する思いというものはもう違ってくる。現実的に。
 というてその親はもう私と同じもの。ね。例えばこれはもう私の繁盛は、善導寺の繁盛であると言う事に繋がる様にです、是はどうこう言いながら何時もそう言う様な、間違いのないものと繋がっておるということ。ね。私が善導寺ば見らんなんとか見るとか。そんなもんじゃないと言う事。もう見るのが当たり前の事として、それが出けて行かなければならないと言う事。それを分らんのです。
 それに私共が、見てやりよると言う事もなければ、ほんにあんたどんに見てもろうて、気のどっかと言う様なものも感じ、感じられる様な事であってはならないと言う事。当たり前の事。というてほんなら親の言う事ばっかり、聞いちゃおられないと言う事。ほんなら親の事ばっかり聞いておらんと言う事が、親に背きよると、言う事ではなくてです、よりおかげを頂く事の為には、それもまた仕方のない事だと言う事。
 その辺の所の兼ね合いをですね、皆さん腹に入れてから、椛目が愈々おかげを受けていかなければならない。それがそのまままた、親教会の愈々おかげに成って行くと言う事に、繋がっておらなければならんと言う事をですね、椛目があるけんでできよるとじゃろうもんと、言った様なものが、そのまあ私共の心の中に当たり前の事として、それがなされていかなければならないと言う事。この辺はどうぞ一つご推察を頂いて、おかげ頂いていかなきゃならんと思うですね。
   どうぞ。